バリュエーション(M&A)の完全実務ガイド

現地に常駐するASEANに特化したM&Aの専門家が、買いニーズがある日本企業様に向けに、検討すべき点や注意すべき点などの有用な情報を発信することを目的としています。
M&Aのうち、株式価値評価プロセスに焦点を当て、評価の重要性について解説します。

1. 株式価値評価の意義

M&Aにおける株式価値評価は、買い手が、対象となる企業を最終的にいくらの金額で買収するかという点で非常に重要な意義を持っています。 それに留まらず、上場会社の場合、買い手の株主や債権者などの利害関係者への説明に加えて、管轄機関である証券取引所や規制当局への説明においても重要となります。どのような価値決定をしたかのプロセスを含めた株式価値評価は監査法人にとっても重要な監査対象領域であり、厳しいチェックの目に晒されます。 売り手にとってはどうでしょう。例えば創業一家が株式を保有する企業であれば、株式を売却する前の家族間の意思確認ツールの一つとして利用され、オーナー経営者の立場であれば、これまで行ってきた事業の価値を確認し、その会社を第三者へ売却するか否かの判断ツールとして利用されます。 さらに、企業の経営を委任される取締役会にとっては、M&Aによる投資の回収可能性や、売却価格の妥当性の判断に関する株主へのアカウンタビリティー(説明責任)を果たすという点で、株式価値評価は必要不可欠な重要手順でもあります。

上記のような目的を達成するために、独立した外部の評価専門家が対象会社の価値の客観的な評価を行うことが「株式価値評価」となります。


2. 株式価値評価をはじめる前に

正式に株式価値評価を始める前に決めなければならないポイントは主に以下の5つとなります。

1) 評価対象会社

M&Aにより買収・売却される対象企業が1社のみのシンプルな場合もあれば、複数の子会社や関連会社があり複雑な場合もあります。株式価値評価を行う前に、まずは資本ストラクチャーを整理し、どこを対象範囲とするのかが重要です。また、資本関係だけでなく、実際のビジネスの機能的なつながりも重視した上で対象範囲を定めることが必要です。

よくある失敗例としては、親子資本関係に入っていないオーナーの個人会社が事業の重要な機能を担っている場合です。その会社を除外した企業の株式を買収したとしても、売り手が策定した事業計画の達成に重要な疑義をもたらすケースがあります。ディール交渉の後半になって、その会社が価値算定の対象範囲から漏れていることが分かり、算定のやり直しとスケジュールの大幅な遅延を招く・・・といった事を防ぐためにも、資本的なつながりと、事業の機能的なつながりをしっかりと事前に確認した上で、価値評価の範囲に該当する対象会社を決定することが必要です。

2) 算定のタイミング

1.株式価値評価の意義でも触れましたが、何を目的に価値評価をするのかで、専門家への期待度と専門家の手続の深度も変わってきます(ひいては専門家の報酬額にも影響します)。
また、重要性とは別に、誰がどのフェーズで行う株式価値評価なのかによってもこれらは変わってきます。例えば、売り手が行う株式価値評価と買い手が行う株式価値評価では、その期待値、シナジー、事業や産業の理解度が異なるため、結果が異なることが当然あります。また、フェーズでいえば、M&Aの意向表明書の差入時や一次入札の差入時といったディールの前半なのか、株式譲渡契約書の交渉や最終入札をする、ディールの後半なのかで、取得できる情報量が異なるため、結果は異なります。
株式価値評価は、どのタイミングで行うかによってその結果も変化することを理解した上で、算定のタイミング(場合によって複数回を行う)を決めます。

3) 算定に使用する資料の確認

代表的なものとしては、対象会社の過年度の財務情報や事業計画が挙げられますが、特に株式価値算定では、将来の不確実な情報をもとに算定を行うため、前提条件の小さなブレや誤り、認識の違いが結果に大きな影響を及ぼすことになります。このため、すでに確定済みの過去の決算情報は、予測情報の信頼性や精度の高さを検証するために、必要不可欠な資料でもあります。
これらの将来情報の作成プロセスや、作成時の前提条件の合理性を検証する専門家も存在します。ただ彼らは、株式価値評価の専門家ではありますが、評価対象会社及びその産業のプロではないため、こうした専門家による資料の確認では、必ずしも十分とは言えません。ビジネスや経営の根幹に関わる将来情報がどのくらいの練度で策定されているかは、その業界のプロである売り手、ないしは買い手も厳しい目線でチェックすることを忘れてはなりません。

4) 算定基準日

可能な限り直近の基準日を元に算定を行うことが望ましいですが、特に小規模ディールの場合などは対象会社の財務報告体制が十分でない場合もあり、理想的な基準日での算定が難しいケースも少なくありません。特に、年次ベースの決算しか行っていないことで、極端に過去の基準日の算定しか出来ないとなると、買い手側の意思決定機関は、売り手や対象会社の中で何かやましいことがあるのではないかと疑いを持ちますし、価値算定後、株式譲渡契約日までの対象会社の業績の再確認などに多くの手間を強いられることになります。

5) 算定手法

以下で詳しく説明しますが、算定方法には大きくはマーケット・アプローチ、インカム・アプローチ、コスト・アプローチの3つがあり、アプローチ毎にいくつかの算定手法が存在しています。どの算定手法が対象会社の株式価値評価を行うのに最も適しているかは、景気の状況、対象会社の属する産業の状況、対象会社のビジネスモデルによって異なります。基本的には、株式価値評価の専門家が総合的に検討した上で、算定手法を決めます(同時に複数の手法を採用する場合もあります)。


ポイント−企業価値評価の前段階で決めるべき5つのこと

  • 評価対象会社

  • 算定のタイミング

  • 算定に使用する資料の確認

  • 算定基準日

  • 算定手法


3. 株式価値評価のアプローチ

株式価値評価は、事業の特性、評価の目的等を総合的に勘案して決定すべきであることを前段で述べました。以下では一般的な評価アプローチと、それぞれのアプローチに属する代表的な評価方法の概要を解説します。

まず第1の手法は、インカム・アプローチです。これは、企業が将来獲得すると期待される利益またはキャッシュ・フローに基づいて企業価値を評価する手法です。理論上、企業価値は企業の将来的な収益獲得能力に応じて決まるものとされますので、インカム・アプローチは最も一般的かつ理論的な評価手法とされています。インカム・アプローチの代表的な評価方法は以下のとおりです。

DCF (Discounted Cash Flow) 法

企業が将来獲得すると期待されるキャッシュ・フローを加重平均資本コストで現在価値に割り引き、評価時点での純有利子負債を控除する方法

APV (Adjusted Present Value)法

加重平均資本コストに代えて自己資本コストで将来キャッシュ・フローを割り引き、これに負債の節税効果を加味して純有利子負債を控除する方法

収益還元法

企業が将来にわたって一定の利益を獲得すると仮定し、当該利益を一定の還元率で割り戻す方法

第2の手法は、マーケット・アプローチになります。株式を上場している類似企業や類似する取引事例との比較により、間接的に企業価値を評価する手法です。マーケット・アプローチは、類似する上場会社や取引事例が存在する場合には、一定の客観性を有する手法と考えられます。マーケット・アプローチの代表的な方法は以下のとおりです。

類似会社比準法

対象会社と事業規模や事業内容が類似する上場会社の株価に基づく倍率を算定し、当該倍率を対象会社へ準用する方法

類似取引比準法

過去における類似取引事例の取引金額に基づく倍率を算定し、当該倍率を対象となる取引へ準用する方法

第3の手法として、コスト・アプローチというものがあります。貸借対照表における総資産価値から総負債価値を控除した純資産価値により企業価値を評価する手法です。コスト・アプローチは主として企業の静的価値を求めるものですが、一般に理解しやすく、将来の不確実性を排除するには有用であり、企業価値の評価アプローチとして伝統的に採用されてきた方法です。代表的な評価方法は以下のとおりです。

時価純資産法

貸借対照表上の資産及び負債に対して必要な修正を加えるとともに、含み損益を加減して時価純資産価額を求める方法

上記3つの手法を用いて算定した株式価値を把握した上で、最終的な株価をいくらにするかは、それぞれの結果の比較検討に基づく総合評価を通じて決定するのが一般的です。総合評価の方法としては以下の方法が考えられます。

単独法

特定の評価方法を単独で採用する方法

併用法

複数の評価方法を採用するとともに、それぞれの結果に一定の幅を設け、評価結果の重複等を考慮しながら結論を導く方法

折衷法

複数の評価方法を採用するとともに、それぞれの評価結果に一定の比重を持たせて平均することにより結論を導く方法


ポイント− 株式価値評価のアプローチ

第1の手法-インカム・アプローチ
例:DCF (Discounted Cash Flow) 法、APV (Adjusted Present Value)法、収益還元法

第2の手法-マーケット・アプローチ
例:類似会社比準法、類似取引比準法

第3の手法-コスト・アプローチ
例:時価純資産法

上記3つの手法の評価結果を元に、単独法、併用法、折衷法を下に総合評価を行う


4. いくらで買収・売却すべきなのか?-シナジー効果を含む投資価値の評価-

株式評価の結果、算定された金額でディールが合意するのであれば、M&Aはとても簡単な取引のように思えます。しかしながら、買い手にとっては買収した対象会社を本当に成長させられるか、潜在的なリスクはないのか、自社とのシナジー効果(相乗効果)がどの程度あるのかを、限られた時間の中で徹底的に検証する必要があり、一方、売り手にとっては最も良い価格と条件を提示する買い手候補に対象会社を売却することを狙います。この買い手にとっての「投資価値」と、売り手にとっての「売却価値」が一致する妥協点がM&Aの取引金額となるため、双方で行われた株式評価の結果と、実際の取引金額は異なった値になることが多々あります。

買い手にとっての「投資価値」とは、対象会社を単独に評価することは少なく、M&A後に自社事業との間に生まれるシナジー効果から派生する期待価値も含まれています。よく採用されるインカム・アプローチによる価値算定の場合、今後十年でこれくらいシナジーが出るだろうという概ねな計算ではなく、統合後に生じるシナジー効果からもたらす将来キャッシュ・イン・フローがどの年度にいくら出るか、それに関わる人件費やシステム統合費などのコスト(将来キャッシュ・アウト・フロー)がどの年度にいくら出るかを精緻に見積もった上で、事業計画を作成します。また、このようなシナジー効果の実現可能性についても事業計画作成する際、将来キャッシュ・フローを見積もる際に考慮しなければなりません。そのため、実務上、特に買い手のM&A予算額を計算する際は、対象会社の株式価値評価に限らずこのような投資価値評価も重要なポイントとなります。

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